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不思議話4

消失未遂事件から時が経ち、学年が上がりました。

何かの本かテレビで地震雲というのを知りました。
登下校時には空を見ながらというのはいつもの事だったので、気をつけるように見はじめました。
それで法則に気付いたのです。
地震雲の一般的な形(一直線・放射状・線条)は勿論の事、私が胸騒ぎを覚えた雲は地震雲、という事に。
普通のもくもくした雲でも心にぐっとくると地震が来るのです。

下校時に友達に「一週間以内に地震来るよ」と教えてました。
本当は大体3日以内なんですが、はずれた時を考慮して←この辺が姑息
勝率は9割。1回だけはずしました。

そんなこんなで二十歳を超え、免許を取り、車で通勤しはじめます。
出勤途中の赤信号で何気なくフロントから上を見ました。
心臓が飛び出るかと思いました。
物凄い巨大な地震雲があったのです。こんな禍々しい雲は初めて見ました。
普通の人が見たらただの大きな雲に見えたかもしれません。
町を覆うくらいの1枚板のような形で、白と灰色と茶色がぐちゃぐちゃに混ざった配色。
動揺して青信号にも気づかなかった位です。

当時は携帯はおろかデジカメも普及してなく、手元にそれを記録するものは持ってませんでした。
家にとってかえして普通のカメラ…というのは出勤途中でできません。フィルムも入ってないし現像にも時間がかかります。
大人になったからか、地震が来ると教えまわるのは気がひけました。はずれた時に恥ずかしいとブレーキがかかったため、誰にも言いませんでした。

次の日に母と弟と私は列車で札幌へ遊びに出かけました。
翌日、帰りの列車を札幌駅待合室で待ってました。
その時に地震が来たのです。
震源は札幌かと思いましたが違ってました。
震源は釧路沖、M7.5震度6。
釧路沖地震でした(札幌は震度3)。
待合室のテレビでそれを知った時、あれがそうか~と何か納得しました。

それからが大変でした。
列車全線停止、復旧の見込み無し。公衆電話から家に電話しても父は職場で誰も出ない。夜遅くに電話しても出ない。
列車の復旧を待ってましたが、夜遅くになっても駄目と分かって、駅員さんに聞いてみたところ、列車を待機させてるからその中でいいならと、列車ホテルに案内されました。
特急列車はエンジンをかけっぱなしで電灯と暖房を朝までつけてました。
2人は疲れて寝てましたが、貴重品を盗まれまいと、私は人が通るたびに目を開けました。というか寝れませんでした。
朝になって地上が駄目なら空があるじゃない、と千歳空港に行き、釧路空港が着陸可能なのを確認し、何とか釧路に辿りついたのでした。
スマホも無い時代は、情報は職員と公衆電話とテレビのみでした。

家に着いたらやっぱり父は帰ってませんでした。炭鉱のガス施設に勤めてましたから当然です。次の番方の人達と徹夜での点検をしてたそうです。海底抗では不気味な地鳴りだったそうです。
家の中は食器の飛び出しはあったもののそんなに壊れてませんでした。が、神棚だけがめちゃめちゃでした。
オカルト的には、これは神様が頑張ったという事なんでしょうか。

後にNHK釧路で地震雲を撮ったという写真を紹介してましたが、私が見た雲とは違ってました。普通の飛行機雲のような一直線の細い白い雲。
あの岩盤のような巨大雲を地震雲だと認識した人はいるのでしょうか。

歳をとってからは生活スタイルも変わり、あまり空を見てません。
東北大震災の時は、震源が離れてた為、雲での予知はできませんでした。それでも千葉は震度4~5だったんですけどね。
犬の散歩時に何か空が変だなとは思ってましたが、まさか地震が来るとは。

南海トラフの時もきっと雲での予知はできないと思います。
空が変だな~位は思うかもしれませんが。
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